売買営業部の渋田です。
大日本帝国海軍砲艦「嵯峨」は、当時の私たち帝国臣民を
遥か沖合から見守っているだけでなく、親たちとはテニス、ピンポン、マージャンで交友するとともに、小さな小学校の体育館で「活動写真」(無声映画なので、海軍軍人が弁士をやってました)子供心に”国定忠治”とか”沓掛時次郎”など思い出します。外国人も一緒の大会で 立唐兵曹とか溜水兵が力較べで勝ったり、柔道であざやかな一本勝ちをされた時の感激は今でも思い出します。
海軍さんは、特に小さな子供に人気が有って妹たちは毎日酒保に遊びに行ってたようです。