売買営業部の渋田です。
久しぶりに投稿します。
私が中華民国(清から漢民族が主権を回復して、有名な孫文が新しく建国した国。 この流れが蒋 介石→台湾に逃げて国民党として、日本領土だった台湾の統治者になった。所謂本省人)で育ってた頃、米、英、仏、日本は、広東を貿易拠点として、千人弱?の民間人が居留していました。
以前記述したと思いますが、欧米列強の砲艦は、沙面島のすぐ近くに真っ白い艦体を見せていましたが、我が帝国海軍砲艦”嵯峨”は遥か沖合に漂泊していました。
子供ごころに、もっと近くに来てくれたらといつも思ってました。
砲艦”嵯峨”
あの有名な砲艦”サンパブロ”ほどではないですが、当事の
乗組員が、菊のご紋章が舳に燦然と輝いていると誇らしげに話してくれたことを思い出して、ネットで調べました。
大正元年(1912年)11月8日建造
排水量:785トン、きっすい:2.31m
1600馬力、速力:15ノット、
主砲:12センチ4門、8センチ3門
第1次大戦で青島攻略、その後南シナ、中シナで警備にあたり、昭和19年、香港で触雷沈没、20年爆撃され大破・放棄。